タイ北部の貧民地帯

この話しは実体験に基づいた話しです。私がいかにしてロリータコンプレックスに陥ったかをご紹介いたします。10年ほど前になりますが、私がまだ学生をしていたときの話しです。タイ北部の貧民地帯に教育関係のボランティアとして派遣された私が、現地の状況で体験したことです。まるで白日夢の半年間でした・・・・。学校の建設と教育システムの指導が、出発以前に聞かされていたボランティア活動の内容でしたが、現地到着後、ボランティア全員(男女4名ずつだったように思います)に配られたモノは膨大な量のコンドーム・・・でした。現地ボランティアの説明では、農薬を購入する金ほしさと借金苦で、 娘(10才に満たない子供を含む)を売春宿に売る親が続発し、タイ政府がエイズの蔓延を防ぐためキャンペーンをおこなっているとのことでした。私は、首を傾げながらも配布活動の説明を聞き、現地に入ると、待っていたのは恐ろしい実体でした。 (これが後に恐ろしいモノから享楽のモノに変貌していきます)売春宿(バラック)の前を通ると、どう見てもローティーンの子供たちが客を待っているではないですか、その中にはぱらぱらと7〜9才だろうと思われる幼女までもがいるのです。リュックサックいっぱいに入ったコンドームを彼女たちに配って歩くのですが、売春宿のあやしげなオーナーたちが彼女たちに渡したはずのコンドームを回収しているのです。無料で配布したコンドームを客に売りつけるのでしょう。私は刹那に感じ、ある売春宿で子供たちからコンドームを取り上げている男の胸ぐらにつかみかかってしまいました。するとそばにいた少女が僕の足にしがみつき何やら言っています。私はAさんという大学院生の女性といっしょに配布していたのですが、売春宿の用心棒らしきもう一人の男がAさんにナイフをちらちら見せているです。「退散した方がいいわよ」とAさんから言われ、すごすごとその場を立ち去った私でした。 それから何日かが過ぎ、本来の仕事である学校建設の手伝いをしていた私のところに、いざこざのあった売春宿で私の足にしがみついた女の子がやってきました。ナイフを見せられていたこともあり、そのときは気にも留めなかったのですが女の子は10才ぐらいでタイ人と西洋系のハーフだろうと思われる少しブルーがかった瞳のかわいい子でした。その子はただ座って、朝から夕方まで私の方を見ているだけです。最初の頃は同じボランティアのB君に「惚れられたな」などと言われからかわれていましたが、週間ほど通い詰められるとB君の冗談では済まないなと感じ始めていました。またそれから、数日たったある日の午後「sawadi-ca?」と現地の言葉で話しかけると、少女は照れ笑いを浮かべながら近づいてきました。握りしめていた手を照れくさそうに私に差し出し、手を開いて何かを見せてくれるのです。それは、到着直後、私たちが配布したコンドームでした。私は複雑な喜びを感じましたが「Keepitthisone」と何か言いたげな少女の手を握りかえしほほえみ返しをし、その日は終わりました。 学校建設の基礎工事が片づくと私たちに4日間の休暇が与えられました。ボランティアの連中はタイの政府からもらった列車のチケットで近くの都市まで観光に行きましたが、私とAさんは現地ベースに残り、無線番?をしていました。そこにあの少女が訪ねてきたのです。Aさんは「ずいぶん女泣かせなのね」などと言っていましたが、少女の眼差しは、私に女を感じさせるに充分な魅力を持ったものでした。私はそんな自分の意識に罪悪感を感じながらも、少女と折り紙をしたり簡単な現地語でコミュニケーションをとって時間をつぶしていましたが、その日彼女は夜になっても帰ろうとしません。Aさんは困った顔で「そろそろ帰ってもらおうよ」などと言っていましたが、9時を回った頃「○○君のところに泊めてあげれば」と言ってベースから女子宿舎に帰ってしまいました。少女と二人きりになった私は「シャワーを浴びたいから帰ってくれ」とたどたどしい現地語で説明するのですが、少女は微笑んでいるだけで帰ろうとはしません。日中は連日30度を超える気温ですから、身体がベトついて心地よくないのです。しかたなく少女を無視して宿舎にあるシャワーに向かうと、少女が後を付いてくるのです。現地の住まいを知っている私は軽い気持ちで「なぁーんだ彼女もシャワーが浴びたいんだ」と思った私は彼女に私の洗い替えのTシャツを渡し、シャワーに案内しました。 彼女は大喜びでシャワーを浴び、私の大きなTシャツを着て出てきたのです。その姿にエロチシズムを感じ得ずにはいられませんでした。私もその後シャワーを浴び、彼女といっしょに宿舎入りました。私は彼女に飲み物をあげようと部屋の片隅にあるオンボロ冷蔵庫からコーラを出し、彼女に渡そうとして振り返ったとき、私は目を疑いました。私のTシャツを着てベットに膝を抱えて座っている少女は下着を付けていなかったのです。陰毛の無いぷっくりとした少女のスリットが少し開いた状態で私の目に飛び込んできたのです。私は少しあわてて「Oh!rara」と言いながら丸めたバスタオルを彼女の下半身におきコーラを渡しました。このとき私は女っけのない生活(正確にはたくさん女はいるけど抱けない生活)のせいか、私に元々あった性癖のせいか図らずも勃起してしまったのです。少女はコーラを飲み干すとバスタオルをのけ、Tシャツをめくり上げ悪戯な笑いを浮かべて私に少し膨らんだ胸とスリットを見せつけます。私は目をそらしながら「Stop!」を繰り返し彼女にバスタオルをかぶせました。そのとき彼女の胸に手があたり、彼女はすこし痛そうにしながらおとなしくなったのですが、なんとなく気まずい雰囲気になり、部屋の明かりを消し彼女を寝かせ付けた私は机に向かい薄暗いスタンドの明かりで現地語の勉強を始めました。 1時間ぐらいして大あくびをしたとき、彼女が背中にゆっくりと抱きついてきました。だまって彼女に身を任せると背中で泣いているではありませんか。思わずイスを引き彼女を私の膝の上に座らせ、柔らかな髪の毛をなでていると、彼女は私の唇に自分の小さな薄い唇を合わせ、ディープキスを求めてきたのです。そこで私の理性や道徳心はかけらもなく吹き飛んでしまいました。彼女の肩に手を回し濃厚なキスを味わいました。彼女はキスが終わると私のショートパンツに手を入れ私の堅くなったモノをまさぐり、ショートパンツの上から自らの口で愛撫しようとしはじめるのです。私がショートパンツをおろすと彼女は私のペニスを小さな口でたどたどしく愛撫しはじめました。彼女の愛撫がひととおり終わると、今度は私が彼女を持ち上げベットに横たわらせ愛撫しました。わずかに膨らんだ胸。そう発育が始まったばかりの乳輪、米粒大の乳首に舌をはわせていったのです。 私の舌がへそを過ぎたあたりで予想に反して彼女は、足を大きく開きました。アンダーヘアー(金色の産毛)がわずかに認められる彼女のぷっくりとスリットが大きく開かれ、包皮に包まれた赤いクリットがちょこっと顔を出しています。ラビアは完全にスリットのなかに収まっていました。色素の沈着もまったくなく初潮の形跡はありません。私はそんな彼女のスリットを出来る限りやさしく舌で愛撫したのです。無味無臭のやわらかな液が私の口に充満し、まるで味のないスープを口に含んでいる感じでした。私が恍惚にひたりながらクリットを舌で転がし続けていると、身長140cm足らずの彼女は「Hummm....」と声を出しビクッとしたかと思うとお漏らしをしてしまったのです。幸いにもバスタオルが彼女の「そそう」を受けとめてくれたのでベットが濡れるまでには至りませんでした。「Sorry....」とつぶやきながら腕で顔を隠したまま体を反らしている彼女に、私は本気でイノセンスな愛情を感じたのでした。そのあと彼女は全裸のままバスタオルを洗いに行こうとしましたが、私は女子宿舎にいるAさんが気になり「Don`tworry.I`llwashthat」と彼女を引きとめベットに座らせました。お漏らしをした(オルガスムスを体験した?)すぐ後なのに彼女は再度、私に愛撫を求めてくるのです。「sak-sak....サクサク」現地語なのか「sex-sex」なのかは不明ですが、私の手を取り自分の小さな胸をさわらせようとするのです。私は自分のモノがおさまっていなかったので、すぐに愛撫を開始しました。乳首を転がし、透明な柔らかな液が溢れるラビアを触り、ほんの少し堅くなったちいさなクリットを味わいました。彼女は声にならない声をあげ、足を堅く伸ばしたり、開いたりして幼い身体で快感をどん欲に感じているようでした。彼女の手が私のペニスをしっかりつかんだのは2回目のわずかなけいれんの後でした。彼女はまるでアイスクリームをそうするかのように大事そうに私のペニスをほおばり、私から出る透明の液をていねいになめあげてくれました。そんな彼女の顔を見ながら自分の「やましさ」は彼女の「愛くるしさ」に押しつぶされ、私は絶頂を我慢するのが精いっぱいでした。 そのとき彼女は、私のペニスを口から出しつかんだまま自分のスリットへと導こうとするのです。私は挿入は不可能だと思いましたが、彼女にまかせて無毛のスリットの入口アタリを勃起したモノでなぞっていました。そのときです不意に彼女が腰を突き出しラビアの中心に私のモノがひっかかったのです。亀頭の部分がラビアにつつまれ挿入を予感しましたが、彼女の表情がすこし曇ったので「Thanksdon`tbemore」と言い私は自分のモノをマスターベイトし彼女の下腹部に最後の液をまきちらしたのでした。その後、うたた寝をはじめた彼女に本当の年と尋ねると「I`m11years-old....」とカタコトの英語で年齢を告げました。時間にすれば1時間足らずの情事でしたが私には何十時間にも思われ、夢の中をさまよっていた感じがしました。最後の液を放出した後は「罪悪感」と「バレるんじゃないか恐怖症」との戦いです。いかにして「なにもなかった」かを演じられるかが日の出までの課題でした。 彼女には私のTシャツとショートパンツを着せベットに眠らせ、私は机に向かって眠ることにしました。夜中に洗濯していると怪しまれるので早朝に洗濯してしまえばいいや、などと考えているうちに私は熟睡。次の朝、目が覚めると宿舎の水場でAさんが彼女のバスタオルを彼女といっしょに笑いながら洗っているではありませんか。 私は「ばれた」と思い、頭をジンジンさせながら「おはよう」とAさんに声をかけたのでした。するとAさんは「この子おねしょしちゃったんだ、バスタオル洗っておくから、彼女を叱らないでね」とのこと。私は火がついたほどに赤面し11才の彼女に目をやったのです。彼女は「Mornin...」と照れくさそうに答え、11才の少女に戻っていました。昨夜ベットでみだらなオンナを演じた彼女はどこへ行ったのでしょうか。私は長い夢を見たんだと自分に言い聞かせました。 休暇も終わり他のボランティアの連中が帰ってきても、やはり彼女は学校の建設現場に来ては私たちをながめて一日を終えることを繰り返しました。そのうち彼女は私たちボランティア連中のマスコットガールになっていったのです。一ヶ月ほどでプレハブ校舎は完成。8名いたボランティアもAさんと私を残し、次の派遣地に移動していきました。当然男子宿舎は私だけの住まいになりました。しかし誰もいなくなった宿舎で夜を迎えると思い出すのはあの夜のことです。私は幾夜か想像だけのマスターベーションにふけりました。 それから10日ぐらいしてでしょうか、ある朝、Aさんがひどく具合の悪そうな顔をして私に「どうやらアメーバ(疑似赤痢)にかかったようなの」と言うではありませんか。私は無線で別のベースに連絡をし、病院の手配と交代要員の要請をしました。他のベースからAさんを迎えに来たのは夕方になってました。他のベースから来たボランティアに「○○君(私)交代要員は手配が付かないのでAさんの状態が回復するまで一人で頼む」と言われ、その夜私は無線機を男子宿舎の部屋に運ぶはめになりました。これで私は当分の間、現地人ボランティア数人に学校運営の指導(必修科目の設定や教育機材のレクチャーなど)をしなければならなくなったのです。数日間は大忙しで彼女のことなど頭に入りませんでしたが、だいたいのことを片づけると時間を持て余すようになりました(夜は特に・・)。 ある夜、虫退治(蟻やゴキブリがウジャウジャいるのです)をしているとき宿舎の水場で物音がしたので、行ってみると彼女が上半身裸で自分の服を洗っているのです。私は近寄り「こんな夜更けに何してるの?」とたどたどしい現地語で訪ねると「お姉さんとケンカして飲み物をかけられたんだ」と言いながらあっけらかんとしています。僕の頭の中は薄汚れた下着一枚の彼女を見かけた瞬間から「あの夜」のことで頭がいっぱいでしたが「遅いから早く帰りなさい」と告げ、自分の自制心に自己満足しながら虫退治のため彼女の前からキビスをかえしたのです。濡れた服が気持ち悪いのでしょう彼女は私の後をついてきました。私は虫退治が終わったところでシャツを渡し、彼女に着替えるように言いました。彼女が着替え終わっただろうと振り返ったとき、彼女は薄汚れた下着を握りしめ、全裸で立ちすくんでいました。私の渡したシャツはベッドの上で丸くなっていました。私は無理矢理シャツを着せようとし、抵抗する彼女とちょっとしたもみ合いになったとき二人でベッドに倒れ込んでしまいました。 彼女はそこでおとなしくなったのですが、小さな唇をいきなり私の唇に重ねてきたのです。 彼女のキスは小さな舌を懸命に私の口に入れ、舌を絡め合うよう求めてきました。私の熱いペニスは張り裂けんばかりに緊張し、またしても私の理性や道徳心はかけらもなく吹き飛んでしまったのです。彼女の何もない股間にはキラキラと光る柔らかな液体がでていました。私は彼女の小さな身体をベッドに寝かせ、本能にまかせ視姦をはじめました。煌々とした明かりの下で彼女の身体のすべてを確認しながら愛撫したのです。少女はこの数週間でわずかな成長をとげていました。米粒大の乳首に変わりはありませんでしたが、乳輪が痛々しいほどに膨れ胸全体の膨らみを引っ張っているかのようです。脇の産毛にうっすらと色が付き、はれぼったいワレメの先端には以前よりわずかに色づいたアンダーヘアーが芽吹いていました。 私は両手の親指でぷっくりと膨らんだ小さなワレメを押し広げクリットを包む包皮をゆっくりとめくりあげました。そうすると赤くとがったクリットが痛々しく勃起しているのが見えました。さらに柔らかな液が溢れているラビアを押し広げるとあの夜お漏らしを出したピスホールがくっきりと見えるのです。私は舌をとがらせピスホールからクリットをゆっくりと味わいました。ラビアはやさしい肌色のままスリットからほんの少しはみ出る程度に成長していました。私は柔らかいラビアを唇にはさんだり、ラビアの中心に舌をはわせたりして、少女を目と舌で味わったのです。 そして私の熱くなったモノをそっとラビアにあてがい彼女の反応を見ながらゆっくりと沈めていきました。亀頭の部分が柔らかな液の溢れるラビアに包まれると、彼女の息はしだいに大きくなり自分の手でスリットを大きく開こうとしてくれるのです。私のモノは堅く緊張をしていましたが、とても小さく窮屈な入口に阻まれなかなか亀頭部以上挿入することができません。諦めかけていたとき彼女が全身の力を抜いたのです。その瞬間、私のペニスはとても熱く感じられました。結合部をのぞきこむと彼女のスリットに私の熱い部分が半分ほど埋まっているのです。ヴァギナから少量の血がアヌスの方に流れていました。 彼女は一瞬苦痛の表情をみせましたが、それからは自らが腰を差し出しヴァギナの奥まで私のアレを受け入れようと試みてくれました。私のペニスは痛いぐらいの圧迫感と熱を感じながら、愛液に助けられコリコリとした少女の子宮まで到達したのでした。もちろんピストン運動などは不要でした。彼女のほんの少しの動きが狭いヴァギナの圧迫感にかわって私のペニスに伝わってくるのです。私は絶頂感をひたすらに押さえましたが数分ほどで初潮すら迎えていない小さな子宮に最後の液をほとばしらせたのでした。少女の小さなヴァギナの中は私の液と彼女の液でいっぱいになりました。私のペニスが緊張から解き放たれ、もとの姿に戻ろうとしているとき彼女が「Youfeelgood...?」とまるで娼婦が語りかけるようにたずねるのです。たぶん彼女の姉が客に言っているのを真似ているのでしょう。わたしは何も答えずただ彼女の髪を触っているだけでした。 それからは、ほとんど毎夜彼女との情事にふけりました。そんな日々が数カ月続いたある日、ベースに帰国通達が届き、帰国しなければならないことになりました。そのことを彼女に告げたとき、彼女は涙を浮かべ「Sayonara-ne...」とポツリとつぶやいたあと、以外にも彼女は「アイ・ビカム・ティーチャー.........ゼアー」とプレハブ校舎を指さし、現地語でまくしたて私の前から走り去っていきました。そして私は信じられないような思い出を抱え、学生生活にピリオドを打つべく日本に帰国したのでした。 あれから10数年・・・彼女は本当にあのプレハブ校舎の先生になれたのでしょうか、私はその後「某R大学」を無事卒業し、バブルの景気も手伝ってくれてか外資系の企業に無事就職、ヨーロッパ勤務を命ぜられ、数年間ヨーロッパに滞在後、帰国。今では一児のパパになりました。通勤途中で見かける「我が国の発育の良い少女たち」と過去の記憶のハザマに翻弄されながら、都心から遠い我が家を恨みつつ、満員電車に揺られる日々を送っているのです。